ここに紹介する体験談はアメリカで銅人療法によって癌や難病から立ち直った人々の証言を翻訳したものです。将来は日本での事例も紹介したいと思っています。
Hilary bender (前立腺癌、乳癌)
2000年のクリスマス、生検の結果、前立腺の2カ所に癌があることがわかりました。2001年のクリスマスには、別の生検の結果、左乳房の腫瘍も癌であることがわかりました。数回の超音波診断でこの腫瘍が絶えず成長していることが示されました。私の外科医が勧めた治療は両側の乳房の切除、放射線治療、化学療法でした。そんなことになれば、私の生活の糧、教えることと、サイコセラピーがすぐにだめになってしまいます。短いかもしれませんが、人生を精一杯生きようという決断に傾きました。その時、クインシーでギニアピッグ癌患者クラスを始めたばかりのトムのことを耳にしました。彼は同意して、「手術はいらない、化学療法もいらない、私が毎週あなたを治療しよう」と言いました。3年たった現在、私� ��75歳になりましたが、側湾症はなくなってしまいました。腫瘍は安定して眠った状態であります。前立腺のPSA値は低く安定しています。私は以前よりも教えること、サイコセラピーを行うことにエネルギーを持っています。これらは事実です。ありがとうトム、ありがとう、ありがとう以外何も言うことができません。
ベンダー博士はボストン大学の名誉教授であり、プロフェッショナル心理学教育研究、実存人間心理学のマサチューセッツ学校の主任研究員です。
私たちは2002年の2月にクインシーのギニアピッグクラスを始めました。過去5年間で約7000人の人々が我々のヒーリンググループに参加しました。ベンダー博士は過去5年間、毎週行っているギニアピッグクラスに定期的に参加している多くのメンバーの一人です。彼はクラスで千人以上の人が癒された状態を観察してきました。彼は銅人治療クラスの進行状況全体を目撃しています。実際、彼自身の体験談は銅人療法の大きな治療成功例です。また、私たちのヒーリングエネルギーの概念と理論は、ベンダー博士の研究や信念とも矛盾していません。どちらも集合的無意識を形成すれば、多くの疾患をいやすことができ、いわゆる「奇跡」を創り出すことができるという信念をもっています。
Carol Asha(ALS) 2006年10月
2005年4月、私の左足に痛みがあり、弱くなったのを体験し始めました。私は1日3〜5km歩いたり、ハイキングを楽しんだり、サイクリング、クロスカントリースキーをしたり、体力を保つためにジムに入会したところでした。痛みはジムの運動でムストリング筋に負担がかかったと思っていました。何をしないでもよくなっていくだろうと想定していました。一月たち、私の足はいっそう悪くなり、医者にみてもらいに行きました。検査の後、筋肉の弱化は未知の神経疾患によると診断されました。それで私を神経科医に紹介してくれました。
1年後、医師の診察と検査の結果、5つのネガティブMRI、4つのポジティブEMGによると、神経の損傷が足に影響を与えていることがわかりました。神経科医はALS(筋萎縮性側索硬化症)の疑いがあると言いました。その知らせはショックであり、信じられませんでした。こんなことが私に起きるはずがない、セカンドオピニオンが欲しいと思いました。それで2006年6月にラヘイ病院の神経科に行きました。彼等はALSの専門家でした。診断の確かさを感じました。検査後、彼等はALSではないと言ってくれたら、私は生きかえった気がするだろうにと思いました。
3人の医師によって5時間の検査と2時間のEMG検査を行われ、私はALSだと言われました。さらに平均余命は2〜5年だと説明されました。しかし進行が遅ければ、10年持つかもしれないそうです。私はショックをおこし、うつ状態になりました。どうしてこんなことが私に起こるのでしょうか。私の未来は、医師の説明によりますと、腕や足が徐々に弱化していき、車いすに閉じこめられ、ついに自力で動くことも、飲み込むことも、呼吸をすることもできなくなるそうです。皮肉なことには私の心は正常のままだそうです。これ以上ひどい人生を想像できません。言うまでもなく、私が人生に抱いていた希望と夢は粉々に砕け散ってしまいました。人生は悪夢となり、おそれと不安に満ちたものになりました。
皮肉なことには、私はレイキマスターであり、他人にエネルギーヒーリングを行っていました。しかし私は自分の健康にパニック状態となりました。ALSと診断された初期のショックを克服し、私が必要としている感情のサポートを友達や家族から受けました。希望はもどり、病気と闘って、私の人生を奪わせないと決意しました。症状を回復させ、診断を覆すことは何でもしようと思いました。私はレイキを越えた代替療法を調査し始めました。
銅人治療はエネルギーヒーリングの一形態です。たくさん行えば行うほど利益は大きくなります。
ナマズ髭の痛み
わたしはすでに左足にブレースを着けていました。足が垂れ、ひどいびっこ状態だったからです。反対の足も、比較すれば強い方でしたが、重く感じました。私は始終疲れていました。ちょっと歩こうと努力するだけで疲れました。パートの仕事をして、できるだけ独立した生活を保とうとしました。私は歩くこと、ハイキングが大好きでした。しかしすぐにいらいらしたり疲れたりして、歩いて遠くに行くことはできません。私の足は弱く、ついには負けて車いす生活にならなければならないことを恐れていました。
ある日、私の未来は劇的な転換期を迎えました。ランドルフのカイロプラクター、ジャームズ・バーバティ先生のところに定期的に通っている時でした。彼はクインシーにあるタムヒーリングセンターのことを私に話しました。彼は自分の患者の何人かはそこで治療を受けさせていて、すごいヒーリングだと言いました。私はこれを調べる必要があると思いました。。その後、私の友人がそのヒーリングセンターに治療にいっていることを発見しました。友人はすぐに予約を取るように勧めてくれました。
センターでの最初の体験はアデルによるすいなマッサージでした。彼は銅人療法で、ハンマーで人形を叩いて治療を始めました。これがいったい何なのかまったくわかりませんでした。少し風変わりだと思いました。彼が人形を叩いてる時に、突然非常に暖かい感じがし始めました。それからちくちくした感じが頭から足にかけて走りました。いい感じです。何かが起こりました。
すいな治療が終わると、気分がいっそうよくなりました。エネルギーが私の中を流れていきました。私は癒されたと感じました。センターを歩いて出ると、私の足が軽くなったと感じました。アデルはギニアピッグクラスに参加するように勧めてくれました。それでトムタムの月曜日の夜のクラスに参加し始めました。アデルのすいなの治療も定期的に受けました。
たった4か月タムヒーリングセンターに通った後、私は大好きなチャールズ川の遊歩道を3キロ歩くことができました。2つの結婚式でダンスをしました。階段の上がり下がりにはまだ多少問題があります。エネルギーがたくさんあり、生還した感じがしました。私にとってこれは奇跡です。時間がたつにつれて着実に進歩しているし、気分がよくなり続けています。また未来を考えています。未来があることを知っているからです。孫が育つのを見ること、障害なく引退することができることを知っています。
タムヒーリングセンターにいる皆さんにどうありがとうと言って感謝してよいかわかりません。不治の病というものはないのだと言うことを示してくれました。センターは絶望したものに希望を、不治の病をいやしてくれます。言葉を越えて感謝しています。
Mary Comeau(肺癌) 2004年6月23日
1983年、私の右肺に癌があると診断されました。私は手術をし、ひとつの肺葉を切除しました。回復はきわめて遅く、痛々しいものでした。非常に苦しい体験でした。その後半年に1回X線検査を受けました。
何年か後、私は肺癌が再発したのでトムタムを紹介されました。今回は左肺でした。私は肺癌手術の予定日以前にトムに会いました。エネルギーヒーリングがどんなものか、何が期待できるのか全くわかりませんでした。しかし、心を開いて、トムが私を助けてくれるという希望を持ちました。私は手術を受ける予定だと述べました。できるだけ早く癌を取り除きたいと思いました。トムは「それはOKだ。回復してよくなるようにヒーリングを行おう。最初の手術の時のように手術を心配しないように」と言いました。最初の手術の記憶がまだ残っていたので、トムの言うことは正しいとトムに希望をいだきました。トムがヒーリングを行っているとき、私は暖かい流れを感じ、手がぴりぴりし始めました。鉛のように重く、持ち上げ� �のが難しいような感じがしました。私は不思議なほどリラックスし、最初に感じていた神経質と不安感とはかなり違っていました。
手術の後、家族と友人は病院に私を見舞いに来てくれました。彼等は私がずいぶんよくなっているのにまったく驚きの声をあげました。彼等のうち、何人かは手術を終えたばかりとはとうてい信じられないと言っていました。私以上に驚いた人はいないでしょう。その後、私の外科医に検診を受けに行きました。彼は誰よりも驚いていました。驚くべき回復についてあれこれ言っていました。私が去る前に、彼は「私の他の肺癌患者には決してこう言ったことはないが、あなたの状態は非常にいいので、もう検診を受けなくてもいい。」と言いました。また、半年ごとのX線検査を受けるスケジュールに戻りました。
痛みリードホール催眠術"薬物で判決を待っている"
2001年、定期X線検査で左肺に新しい腫瘍が見つかりました。CATスキャンを受けるように命じられました。再びトムタムに見てもらいに行きました。彼にまた癌ができたことを告げました。今回はトムはクラスが私のヒーリングに参加するように要求しました。再び暖かみを感じ、手にぴりぴりした感じを受けました。もっとたくさん感じました。要求されたCATスキャンの検査結果を聞きに行きました。今回外科に見てもらったとき、癌はありませんでした。外科医は誤診だったに違いないと言いました。しかし、私はトムとクラスの皆さんが私の癌をいやしてくれたことを知っています。
私は一月に1回トムに見てもらいに行っています。私と夫は毎週のギニアピッグクラスにも出席しています。私は気分が非常によく、天気さえよければ庭で作業をしています。私はトムとレアにクラスを知る機縁を与えられたことに非常に感謝しています。
三度目の癌が起こった後、治療するのが非常に難しい状態でした。トムは三度目の再発癌を癒すには集団エネルギーを使う必要があると考えました。マリーはトムのクラスで集団エネルギーを使った最初の人で最初の成功例でした。生存することが唯一の人生の意味ではありません。クオリティオブライフが私たちすべてにとってもっとも大切です。マリーは非常に楽しい活動的な人生を送っています。いまだに癌はありません。
人が癒された場合、その人は他人を助けるべきです。これは人生における倫理であり目的でもあります。冬と春にはマリーと夫はフロリダにドライブし、一般の人のヒーリングのためにギニアピッグクラスを開いています。また彼女は特別な助けを必要とする患者に対し、電話で人々をいやしています。
Lydia Smith(多発性骨髄腫) 2004年7月5日
私は2001年8月に多発性骨髄腫と診断されました。最初に診てもらった癌専門医は「標準の治療」で2〜3年の余命だと宣告しました。骨髄移植の準備を始めねばならないので9月に教師の仕事に復帰することはできないと言われました。
一月後、ダナファーバーで患者となり、次の2年間、ステロイド、サリドマイド、パミドロネートとこの処方の痛みや副作用をコントロールする「サポート薬」で治療を受けました。また、二人の鍼灸師と一人のハーブ専門家に何回か診てもらいました。私が体験している痛みや副作用を制御するのを助けるために彼等の専門知識を利用しました。私の癌は2003年の春にはかなり制御されていましたが、クオリティオブライフを増進するためには骨髄移植を受ける必要があるという事実を受け入れ始めました。
2003年6月22日、私はエドワード・マクドナウに会いました。彼はボストンのミッション教会のカトリックの神父で、有名なヒーラーでした。彼は鍼灸師トムタムにコンタクトをとるように勧めてくれました。トムタムは1回の治療で彼のいとこの多発性骨髄腫を治したそうです。私は早速予約を取り、新しい生命を保持する旅を始めました。トムは気を送るとき、また鍼やすいなを使うとき、私の体を通る熱の波を体験しました。またエネルギー、痛みの解放、新しい希望の感覚を注入する癒しの力を感じました。トムは次の日にギニアピッグクラスに来るように勧めました。まもなく、夫が銅人療法を学ぶコースをとりました。私たちは家でもトムのテクニックを使っていました。2か月以内に西洋医学をやめることができ� ��した。癌は治ってはいませんが、非常に低いレベルにとどまっています。私はもう一度、ライフワーク、子育て、旅行を完璧に楽しんで行うことができました。私は最初の癌専門医が生きられないと宣告した日時に達したので、トムタムテクニックの組み合わせ、エネルギーヒーリング、銅人療法、鍼、すいな、遠隔治療、西洋医学の薬の組み合わせは、より希望のある未来をいだかせるものでした。
Gina Lum(腎臓結石)
私の娘についてよい知らせがあるということを知ってもらいたかっただけです。2005年5月にナナイモに銅人療法コースを行うために来ていたとき、私の娘は腎臓結石の疾患があると言われていました。病院に入院したり、退院したりしていました。痛みに苦しみ、腎臓結石を通過させようとしていました。私は娘の腎臓結石のポイントに銅人療法をしていました。手術の前3日間、娘に銅人療法を行っていました。手術は金曜日の朝に行われる予定でした。娘は水曜日にナナイモをたち、バンクーバーに向かいました。私は娘に遠隔ヒーリングを続けました。金曜日の朝、娘は手術のために病院に行く予定でした。
病院は娘の手術の準備をしていましたが、何が起こったと思いますか。娘は家に送り返されたのです。なぜなら腎臓結石はないと言うことがわかったからです。娘は私に電話で言いました。「ママ、私にしてくれていることをやめないでね。」
ありがとう、ありがとう、トム。あなたの銅人を使うヒーリングは効果がありました。よい仕事を続けて下さい。お便りをお待ちしています。
にきびの自然solucion
すべての患者が銅人治療で腎臓結石が下る幸運な体験をするわけではありません。多くの場合、手術が必要です。しかし、手術の前にまず銅人治療を試してみることができます。銅人治療を行うことによって、多くの人の腎臓結石が手術前に出てきました。実際、多くの病気の場合でも、医師や救急車が来る前に銅人治療を試すことができます。
dale chandler(膝の痛み)Errington B.C. カナダ
2003年9月、私はトムタムがナナイモで行った銅人療法ワークショップに参加しました。トレーニングの一部はギニアピッグクラスに参加し、観察することでした。それは無料で一般に公開されていました。これらのクラスでは、約35〜40人の人が集まり、それぞれが自分の病気をかかえていました。私や他の学生はトムの近くに座っていたり、立っていて、ひとりひとり話しかけ治療して行きました。そして我々はその治療を観察しサポートしていました。
聴衆の中の年老いた男性がトムに膝の痛みのことを告げると、トムは気を彼に送り、我々は人形をハンマーで叩いていました。そのとき、暖かいエネルギーが私自身の右膝にどっと流れてきました。そこは時々非常に痛みました。これは格別な疑う余地のない体験でした。私はトムがワークショップで説明したことを確信しました。気には知性があり、ひとたびエネルギーが動き始めれば、それは部屋中動き、だれであろうとどこであろうと体の中で必要としているところに行くということです。私は銅人療法の有益性と価値にまったく心を奪われてしまいました。
Nancy S Corbett(肺気腫、ダイエット)Maryard Locksmiths
私があなたの無料のヒーリングクラスでリラックスしている時、私をとてつもなく助けてくれました。私が出席したはじめてのクラスで、私の肺気腫に対し処方されていた酸素に頼らなくてもよい状態にしてくれました。また、9月以来16キロも体重が減りました。これは主にあなたが紹介してくれた避穀によるものです。
ハーバーヒルのあなたの治療院で鍼の治療を受けたときも助かりました。頭から足指までの痛みが消えて、二度ともどってこないのです。
以上のこと、私をいろいろな機会に助けていただいてありがとうございました。
Kim Davison(アレルギー)コロラド 2005年8月25日
銅人治療体系を発展させ先駆者となってくれたトムに感謝したいと思います。それが人々に提供している癒しは、ほんとうに「単純・・・簡単」という言葉を越えています。私が銅人療法に最初に触れたのは、長年親しくつきあっている友人リックとフローリを通してでした。癌の代替治療を探していたとき、彼等はクインシーにある自宅からたった数キロのところでトムタムと銅人治療を見つけました。クインシーの中心から80キロ以内に住んでいるとしたら、非常に幸運です。
リックは長距離電話で私のアレルギーを治療しました。私はコロラドに住んでいます。私は誕生の頃からアレルギーで悩んでいました(59年間)。幸いなことに銅人治療の後で、薬を飲まなくてもよくなったことを報告します。薬を飲まないで一月たちました。同じテクニックと銅人人形を小さなハンマーで叩くことによって、あらゆる症状と張り合うことができます。私は家族の健康問題を助ける以上のことができます。
トムの本を読み、トムのセミナーに参加し、リックやフローリの話を聞き、この夏はギニアピッグクラス(クインシーとオールストン)を手伝い、家で実践し、たくさんの質問をしてきたので、銅人治療を毎日使う自信と知識を得ることができました。
いつか、コロラド州にもギニアピッグクラスができると思います。
Elaine K. Bly(筋線維症、肺癌)2005年8月
2005年の4月、生涯の友であるリック・クェーテはボストン(私はオマハに住んでいる)から電話をかけてきて、彼が実践している銅人療法という新しい治療について語ってくれました。トムタムというすばらしい中国人の治療家が発展させたものでした。リックは私が何年にもわたって筋線維症、さらに重要なものに2003年5月に肺癌になったことを知っていました。当時、幸運なことに私のは左肺の上葉で手術できる腫瘍でした。手術は成功しました。しかし、過去2年間、3か月ごとの癌専門医による検診で小さな点ができていました。生検するには小さすぎましたが、決して消えることはありませんでした。
リックは電話で毎週私を治療し始めました。2005年4月には次のような結果が出ました。私の筋線維症の痛みは8から3になりました(1−10のペインスケールで10が最悪の痛み)。全般的なエネルギーレベルは上がりました。血圧と体重は下がりました。3か月後、2005年7月に私の3か月ごとの癌専門医の検診で、私の肺の点は完全になくなっていました。2005年10月、私は完全に癌のない状態になっていました。
先週、私のかかりつけの医師の6か月検診をうけました。喘息もなくなり、血圧も下がり、血液の酸素濃度はあがり、4キロも体重が減っていました。彼女にはその変化を説明することはできませんでした。しかし、私はそれが銅人療法によるものだと知っています。
3か月の間、私はトムの本を読み、トムタム療法の基礎、銅人療法がどのように気の流れと集合的無意識を使うかを学びました。私はこのオマハで人を治療し始めました。
銅人治療は西洋医学を変革し、地上に住むすべての人をもっと健康にするのを助けるだろうと真剣に信じています。
Judith Poole,MA(ダイエット、慢性疲労症候群)
私は自分の生命力が信じられないほどよくなったことを感謝します。それは3つの経絡人形が経絡頭部人形にエネルギーを与え、レーザーはまず甲状腺に向け、次に副腎に向けることによって、新しい「体重減少」エネルギーフィールドが作られてからのできごとです。最初に体重減少配穴法を体験したときは、レーザーを3丹田の一つずつにあて、最後に下丹田の腹にもってきました。
私はこの治療法を2週間前初めてクインシーで体験しました。私は40分間、人形の近くの場所にすわっていました。席から離れたくありませんでした。エネルギーが内部を動いているのを感じることができました。エネルギーはヒーリングが必要な様々な箇所に影響を与えていきました。そのヒーリングの間に、私は腰回りが9センチほど減りました。
私はエネルギーを枯渇させるいくつかの病気に対処しています。腎臓の障害は倦怠感をつくり出します。なぜなら、毒素が体から容易に排泄されないからです。また関連する貧血にもよります。この最新の銅人治療を体験して以来、私のクレアチニンはよくなって3.6から3に下がりました。
私はまた慢性疲労症候群にかかっています。副腎のコルチゾール生成が減少し、甲状腺機能も低下しています。2週間前クインシーに来たとき、サルモネラ食中毒から回復しているところでした。朝7時に起きたときにコルチゾール5mg錠剤を飲みました。午前10時になる頃には枯渇し、元気がなくなってしまいます。火曜日の朝、クインシーで「体重減少」治療を受けた後は4時までエネルギーが続きました。劇的な違いでした。最初の腰回りの減少は保つことはできませんでしたが、エネルギーは保ち、よくなり続けています。
それ以来、私の寝室で同様な「お茶会」をセットし、メッドフォード、アルストン、クインシーの体重減少クラスに通いました。最近はかったところ、アンダーバストが4センチほどへり、体重も1.5キロほど減少していました。
7月中旬以来初めて集中でき、再び創造的になったように感じました。これは本当に奇跡です。7月中旬に私の腎臓専門医は私の検査結果に注目し、透析を受ける準備をし、腎臓移植を予約をしようとしていました。先週彼に診てもらったとき、私の進歩に非常に満足したようでした。透析を始めるのを急ぐ必要はないといって、私の快復力に確信をもっていることを表明しました。
私はあなたに会えたこと、あなたのヒーリングの方法でよくなったことに非常に感謝しています。
Lynn McCarcy(犬の癌) Old Lyme,CT
3月に38kg、10歳の黒いラブラドル犬をもらいました。彼は今まで出会った中でもっともかわいい子でした。すぐに夢中になりました。
すぐに排尿がやや困難だということに気がつきました。獣医に連れて行きました。たくさんの検査を行い、何人かの獣医に診せました。進行癌にかかっていると診断されました。前立腺、膀胱、尿道、片方の腎臓に癌ができていました。予後は2〜4週間でした。
苦痛を伴うこと、残された生命の質を制限する状態にしたくなかったのでマーシャに頼むことにしました。私たちは別の州に住んでいますが、マーシャは私の犬、ライダーとつながり、すぐに優しいヒーリングを始めました。
このヒーリングの方法は私の信念体系を変革し、私の心と頭を新しい可能性へのと開いてくれました。
6か月後、ライダーは出会って以来もっとも元気です。毛は輝いています。エネルギーもわき出て、尾を絶えずふり、完全な信頼感をもって愛情を振りまいています。これはマーシャによると信じています。彼女がライダーとつながりと銅人治療を分かち与えてくれた美しい贈り物によると信じています。
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